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羽鳥建築設計室まい・たびっくす



さいきんとみにおもうこと6


当時世界一美しかった都市江戸

西洋世界では生活空間を美しく整える習慣は

上流階級の人間だけで

教養が無いと見なされていた庶民は

ゴミかくずでとして見放されていたようです

そんな同じ江戸の一般庶民が

自ら率先して庭先に花を植えたり

生活の場を美しく整えられたのは

戦国時代が終わり

どの様な階層のものでも希望すれば

寺子屋で教養を身につけられた事も

大きいかも知れません

そこではどんな事を庶民の人々が学んだのでしょうか

一つは儒教からきた「朱子学」とも言われていまして

「老子」や「孔子」などが残した教えの一部とも言えます

元は「礼記」の一遍だった「大学」「中庸」を抜粋し

「論語」「孟子」を加えその四篇を「四書」とし

この「4書」の事を朱子学と言うそうです

「四書五経」という言葉よく聞きます

 

今 毎朝「論語」を数行ずつ朗読しているのですが

儒教に対する世間一般の評価はかなり偏っているように

思えます。

孔子一門は諸国の王たちから取り立てられたりしましたが

孔子一門の教えの自分たちに耳障りの言い所だけを

採用し利用しただけでした

王や君子をすべての中心に据えて

世界は王の廻りを回り続けるといった部分など

非常に美味しいとこ取りです

孔子一門は孔子の言動がおかしいと感じた弟子たちなら

躊躇することなく孔子に食って掛かります

そこで喧々諤々(けんけんがくがく)の論戦に

発展して行くのですが

弟子たちは決してイエスマンなどではありません

 

穿った(うがった)見方をすれば

実践のための人間学でした

日本の先人たちも特に侍(サムライ) も

唐 宋の時代のこの思想家から

多くを学んだのではないのでしょうか。 

 

 

 

さいきんとみにおもうこと5


江戸時代と言うと

時代劇の水戸黄門や東山の金さんの

時代劇にTVで触れるぐらいで

今の私たちの生活とは

随分とかけ離れた遠い昔の時代の事

の様に思えてしまうのですが

世界の歴史学者や社会学者は言うに及ばず

一般の人々からも

江戸という時代の有り方が

クローズアップされています

江戸時代が成立する前後を合わせると

三百年近くも大きな争いもなく

平和な時代が続いた時代は

世界の歴史の中でも無いそうです

エコロジーの観点だけでも

自然と調和した循環型の社会が完成していて

これからの国際社会の有り方を

探る上でも貴重な時代であった

という認識だそうです。 

 

さいきんとみにおもうこと4


わたしが小学生の子供の頃

今の私ぐらいの年齢だった祖父に連れられて

月2回程宮城県の主だった山に登山していました

一生懸命に辛い思いをして登山道を

進んでゆくそんな事を続けられてこれたのか

一つには登頂した時のなんとも言えぬ達成感と

そこから眺められる世界への感動も

有ったのかも知れません

登山では、登って行く途中で目指している山頂が

ちらりと見える時が有るのですが

そのゴールを見続けるとある種絶望感にとらわれる事も有ります

「あんな所まで、苦労して行けねばならないのか」

そんな時はゴールを忘れて

足元の川や草花 野鳥のの声などに

関心の矛先を向け変えてみると苦痛も忘れるという事を

経験として身に着けました

一度目標を定めたら後は貪欲に一歩一歩根気よく歩き続ける

物事の本質を登山と祖父から教えられました。 

 

さいきんとみにおもうこと3


わたしは、TVなどはなるべく見ないようにしている方ですが

バラエティー番組などかかっていると

とてもお祭り騒ぎしている放送ばかりの印象を持ちます

TVでなくとも地元の仙台の街も

イルミネーションの祭りやJAZZフェスティバルその他

スポーツチームの祭りなどふた月に1度はお祭りをやっている

とても賑やかな街に成りました

なんだか、世の中祭り騒ぎを競っている様で

楽しければいいものばかりを並べているようにも思えますね

昔は「はれ」と「け」の日がはっきりしていて

神聖なものを祝賀する日を「縁日」といって

皆で普段の日常とは違ったとらえ方をしていたようです

こう世の中 毎日が縁日では縁日の有難味が無くなってしまいそうです

自然界が恵んでくれた大切な資源や食料など

縁日のたびに大量消費されて

余ったら賞味期限が切れたとして大量廃棄します

こんな事していたら生態系のバランスが崩されて

私たちの生活の行き場も無くなってしまうのにと

思う今日この頃でした。  

 

 

さいきんとみにおもうこと2


わたしが子供の頃世界では

この世の3大バカ事業として

 

ピラミットの建設

万里の長城

日本の新幹線

 

の3つが話題として挙げられていて

当時の中国の首相が

新幹線に乗車して

「何か物凄く急き立てられているような気分」と

コメントしていたのを覚えています

そんな中国でも最新技術を取り入れて

超高速鉄道を走らせているのですから

時代も随分と変わった感じでしょうか?

ただ、日本の新幹線(0系)のテクノロジーは

当時の最先端技術と言ったものは採用しておらず

それ以前の既存のしっかりとした技術の

積み上げだけで設計されていた事は

あまり知られておりません

(0系)時代の新幹線は事故と言ったものが

全く有りませんでした

その信頼感がフランスのTGVやドイツの高速鉄道に

繋がっていったのだと思います。

最近の「のぞみ」(700系?)の車体の亀裂など

一つ間違えば大惨事となるような設計ミスなど

最新最短を競う今の時代のあり方が

問われているのかも知れません

狭い日本の国土に時速300km以上の

スピードは必要ないと私なら思うのですが

「カッコいい」「スマート」「スピード」など

どこまで進んでゆくものなのか

際限の無い時代に入っている様に思えるのは

私だけではないと思うのですが? 

 


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