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羽鳥建築設計室まい・たびっくす

あーと3

東京でのセミナーの帰り、美術館に立ち寄り、

中国古典の水墨画や日本画が大好きなので、

三井記念美術館の浮世絵展に足を運びました。

開館が10:00で一番乗り、貸切状態だったのですが、

時間はたっぷりあるのですが、じっくり観るとへとへとになるので、

一作品30秒それでもいいと思ったのだけチョイスして、

早送りで観てゆきました。

河鍋暁斎(字間違ってたらごめんなさい)。北斎、広重

版画のビッグネームがゴロゴロ展示されてるんですが、

有名な画家でも、作品によって受けるインパクトが違うのがわかるんです。

たとえば、その時のコンディションがよくないとか、

門下生の弟子に任せたとか、いろいろあると思うんですが、

そんなこと考えると結構楽しいものです。

東京駅で立ち食いそばをたべて、お昼の新幹線で帰宅しました。

 

あーと2

時間がたまに空く事があるんですが

そんな時は、近隣の県や町の美術館めぐりをしたりしています。

だいぶ前でしたが、山形美術館で四大浮世絵師展を開催してるのを

ネットでたまたま見つけ、脚を運びました。

写楽、歌麿、北斎、広重といったビッグネームの絵師たちの作品が一同に会す展示は

東京でもそうないと思います。

仙台というそこそこの都市があるのに山形の方では商売気がないんでしょうか

宣伝を積極的に打とうとしないようです。

地元宮城県美術館などはキュレーター(学芸員ー企画プロデュース)の評価が高いと聞いていますが

わたしの趣味の傾向が違うのかハッとする企画展に出会う機会がありませんでした。

中学生の団体さんとがやがやした所での美術鑑賞もないでしょうが、

静かに芸術品と触れてみたいという人たちも結構いるんです

岩手県美術館、福島県美術館などへもたまに脚を運んだりしていますが

隣県同士でコラボレーションした企画なんかも面白いとおもうのですが如何でしょうか。

 

 

あーと を観る目

芸術は心だとか 芸術はハートだとか
芸術鑑賞する際に観たままに 感じたままに
作品をとらえなさいといった指導をされる先生がよくいるんですが
ピカソのゲルニカとかジャクソンポロックのアクションペインティング
なんかワットみせられても はっきり言って
子供の落書きの延長線上みたいな作品にしか
我々一般人には観えませんよね
でもなぜこの様な作品が高く評価されてきたのかよく考えてみると
絵画の歴史をたどってみると
ルネッサンス以前の絵画は字を読めない人たちにもその意図が
伝わるように主題 登場人物 構図なんかが決められていたし
ルネッサンス以降は絵書き手中心の視点からみた世界観を
遠近法 明暗法を駆使して表現されていました
近代に入ってセザンヌが立体的な表現方法をあみだしたし
モネが後に印象派と呼ばれる色彩点描画を始めました
ピカソやポロックが思いつきで感情にまかせるままに描いたのではなく
主題や構図 デッサン 色彩なと緻密に計算したうえで
最後に表現されたその形が名作となって形に表れたのだと思います
海外での評価は最終的な結果に対してというより
そこに至ったプロセスがどうなのかを基準としているんでしょうね
芸術を鑑賞するにはそれなりの下準備が必要だと言う事なんだと思います。
 

あーと

 

最近水彩画の勉強をしてまして 図書館からビデオをまとめ借りして
初歩の初歩から始めてます。ふでの走らせ方から色の組み合わせ
構図の取り方 などなど小学校から習っていたのに随分と
理解していなかった部分がたくさんありました。ビデオの講師は
アルウィンさんという外国人の方で コトバを整理して
段階を追って説明してくれるので、全く絵心のない私でも
なんか 描けるような気持ちにさせてくれるのです。
日本人で同じようにビデオで解説してる芸術家のかたのも見たのですが
その先生の説明は 見たように 思ったまま 描けばいいとしか
言ってくれず これでは階段を十段いっきに駆け上がれと言ってる
様にしか思えないんです。
でも テクニックを出し惜しみしてるのではなく、これって
日本人の美徳なのかもしれませんね。
理屈っぽいのは知ったかぶりで上品ではないといった感覚なのでしょうか?
しかし これからの時代は上に立つ者は感覚だけでなく
下にいる者に 一歩一歩ステップアップしてゆけるように
梯子(はしご)を架けてあげないと
全体のレベルアップはむずかしいかもしれませんね。